シンポジウム『福島原発事故後の「健康の権利」と被災者支援を問い直す』行ってきました

シンポジウム

今日、仕事の帰りに行ってきました。

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シンポジウム:
国連人権理事会グローバー勧告を受けて
福島原発事故後の「健康の権利」と被災者支援を問い直す
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●日 時/2013年7月24日(水) 午後7時から9時
●会 場/上智大学 四谷キャンパス1号館403号教室
●主 催/特定非営利活動法人ヒューマンライツ・ナウ(HRN)
      上智大学グローバルコンサーン研究所
●パネルディスカッション
・崎山比早子氏 (元放医研主任研究員・元国会事故調査委員会委員)
・木田光一氏 (福島県医師会副会長) ← いわき市のかたです。
・吉岡 斉氏 (九州大学副学長・元政府事故調査委員会委員)
・影浦 峡氏 (東京大学原発災害支援フォーラム)
・岩田 渉氏 (市民放射能測定所)


と、いうものです。


モヤモヤしていたこと

なんだかずっと、モヤモヤしていたので、このシンポジウムの案内をみて、行ってみようと思いました。
なにがモヤモヤだったかというと:

多くの方が避難しなければならず、いまだに仮設住宅でくらしていたり、逆に避難することもなく、あるいは避難することもできず、、と色々なかたがいます。

このくらいなら安全だ、の基準は1mSvだったり20mSvだったり、これくらいなら発ガン率が高いとか低いとか、人体に影響があるとかないとか・・。

この範囲は避難区域で、この範囲で避難すると自主避難で補償の対象にもならなくて・・。

みんなそれぞれに色々抱えながら、その声をあげる人がいたり、あきらめている人がいたり、その土地で生きていくことをはっきりと選択している人がいたり。語らない内側に、飲み込んだ思いの大きさだけが伝わってくる人がいたり。

タバコの副流煙を気にしない奴がなに放射能だけ気にしているんだ、って言われてみたり、子供だけでも県外に避難させるべきでそれをしない親は親じゃない、と言われてみたり。

どうやったって、生きにくい。

なぜ、我慢を強いられるのか。
どこまで、我慢を強いられるのか。
それは、復興のためには仕方ないことなのか。
子供のことを心配すると、なぜ、後ろ指さされ孤独にならないといけないのか。

声をあげている人を応援すると、復興しようと頑張っている人の邪魔をすることになるのか。
なにを言っても、わかりもしないで外から勝手なことを押し付けて負担を増やすだけなのか。

国連からなにか人権に関する勧告を受けたけど、それも誰かの邪魔をしていることになるのか?

もやもやモヤモヤ、です。


パネリストの影浦さんのお話メモ

とても短く紹介できないので、別途全文がどこかにアップされるはずなので探しておきます。
ぜひ、全文を。

ここでは、配布資料から部分を引用。
(手打ちなので間違えてたらごめんなさい。)



事故は、何を侵害したか?

「 子供が生きていくことに不安をもってしまうような場所で暮らすこと、それじたいが間違っているのだ、そう思った。

あと半年で小学校を卒業するはずだった息子は、私の前では一度も避難をいやだとは言わなかったが、学校では友だちにお別れのことばをもらって、号泣していたとあとで知った。

娘は、大親友との別れをどんな気持ちで迎えたのか。それを聞いたら私自身の決心が鈍りそうで、聞けずに避難の日を迎えてしまった。」

「人が人として最低限尊重されなければならないことがおろそかにされるのは、なぜだろう。

子どもたちという弱き存在を守りたいという気持ちが切り捨てられるのは、なぜだろう。

人災であると言いながら、誰も裁かれないのはなぜだろう。」

都筑啓子さん(白河市→北海道)
「ママレボ」第5号より
注:景浦さんの資料に引用された文から、さらに部分引用


「『科学』者」は何を言ったか?

今回皆様方を混乱におとしめている一つの理由は、年間皆様方はだいたい1mSv被爆をすると1年間に1ミリシーベルトですから一般公衆はこれよりも被爆をさせてはならないというのが「平常時」の約束事であります。

では、この1ミリシーベルトを私たちはどこまで守り、あるいは安全の指標とできるかどうかということを、今、この福島で問われています。

何度もお話しするように100mSv以下では明らかな発ガンリスクは起こりません。

山下俊一氏・二本松市講演(2011年5月3日)


話題のすり替え

「しかし、まだphysicalな被害がほとんど顕在化していないにもかかわらず、なぜ人々はここに不安を抱くのだろうか」

一ノ瀬正樹氏・2011年7月8日、東大シンポ

  • 本来、身体的な健康影響が確率的に起こりうる、かつ法的にあるべきでない汚染状況が発生しているとき、不安を感じるのは当然
  • 汚染状況とそれへの対処 → 個人の心


法の軽視と「健康」概念の矮小化

「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、完結した状態にあることをいいます。」

注:WHO憲章による定義

  • 日本は1951年にWHO憲章を批准。憲法第98条2項の規定により、条約は法的効力を持つ。
  • 「健康で文化的な・・・」(生存権)の矮小化
    • グローバー報告が特に「健康を教授する権利」をめぐる人権状況を扱うものであることに注意


当然の枠組みも実はあって・・・

  • 「子ども・被災者支援法」
    • グローバー勧告と重なる部分は多い
       
    • 一年以上、実質、放置されたまま
       
    • 復興庁 水野氏のtwitter発言でニュースになったが、基本的に復興庁の姿勢が問題


あたりまえのことを、もういちど

「 子供が生きていくことに不安をもってしまうような場所で暮らすこと、それじたいが間違っているのだ、そう思った。・・・
 人が人として最低限尊重されなければならないことがおろそかにされるのは、なぜだろう。
子どもたちという弱き存在を守りたいという気持ちが切り捨てられるのは、なぜだろう。」

都筑啓子さん(白河市→北海道)
「ママレボ」第5号より
  • グローバー勧告は、この、あたりまえの権利を確認し、それを政府が確保するよう求める、あたりまえのもの
     
    • 「子ども・被災者支援法」の主旨との重なりは大きい
       
    • G8マイアミ宣言(1997年)・第二次環境基本計画(2000年)の基本原則とも共通

引用元

3.11後声高に繰り返された発言により、 
議論の前提がどんなふうになってしまったかを 
簡単に確認します
2013年7月24日(水)
東京大学原発災害支援フォーラム
影浦 峡



シンポジウムの最後、「これからどうすべき?」を一言

同じく、影浦さんから。
(児玉の記憶で、文字おこしではありません)

(短期的な事は他の方がおっしゃっていたので中長期的には)

法律と民主主義、これについてちゃんと考えなきゃいけない。

わたしたちは、こうした権利侵害に対して、どう向き合うのか。

法律と民主主義に基づいて、どう意思決定し、行動するのか。

どう考えどう行動する社会をつくってゆきたいのか。

この事故を受けて、どんな社会をつくってゆくのか、ひとりひとりが、しっかり考えることが必要だ。


児玉の理解した、侵害されている権利

  • 日本国が憲法に定める「健康で文化的な・・・」(生存権)が脅かされている人がいる。

  • 被爆による発病リスクだけでなく、これに起因する不安や、社会的な排除も深刻な権利侵害。

  • 本来、この権利を脅かされている人たちへは、当然の支援が行われるべき。
    → 権利は、それを放棄する選択があってもよい?

  • 「子ども・被災者支援法」として宣言されつつも、実態がない。

少し解消したモヤモヤ

  • 健康が脅かされる、とは、単に発病するかしないか、ではない。

  • みんなが、健康に(身体的・精神的・社会的に)生きる権利を持つ。
 
  • それぞれの生き方に選択の自由がある。
 
  • 大きな天災と、大きな人災とによって、選択肢を奪われているひとが多数、いる。

  • 社会的な(排除などの)問題になれば事は単純ではないが、そこをどう考え、どう行動して行くか、それは社会のありようの問題で、当事者個人の責任に帰する問題ではない

  • みんなが選択肢をもつこと、自分の権利を求める声が封殺されないこと、そこへ向かう支援が必要。

その他


国連人権理事会グローバー勧告に対する、日本政府の反論は、

「まったくナンセンス。酷い内容。」

だ、そうです。
勧告も、政府の反論も、全文をウェブで閲覧できるらしい。


いわき市の木田医師のお話など、具体的な現実・現場の問題も諸々。
ひとつひとつ、知っておきたい。。


今回のシンポジウム、福島でもやりたいと考えているとのこと。
(ヒューマンライツ・ナウのかたからの発言)

みんなが参加できたらいいなあ。


今日はもう、ここまでで。

 お休みなさい。


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